平成最後の年、私が合格掲示板の前で景気の良いボート部の皆さんの頭上を舞った日の時点で、私が名古屋大学へ足を踏み入れたのはまだ3回目だった。それ以前の2回とは勿論、2月25日と2月26日である。
私の実家は名古屋大学の東山公園を挟んだ向いのエリアにあり、実に3km程度しか離れていない。しかし、そんな徒歩圏内にある名古屋大学について、これらの日を迎えるまで私が持っていた知識はおよそ赤本と「大学受験パスナビ」に掲載されている情報が全てだった。実際、既に志望校へ合格していた友人を”(”有事”の)介錯人”として伴い大学へ訪れた合格発表の日、農学部棟横の急坂を上がったところの出入り口の前で友人に言われるまで、その向こう側が名古屋大学なのかどうかも覚束ず、「沈淪」の向こうに喧噪を見るまでそこが大学構内だと確信していなかったほどである。
そんな言わば”受かっただけ”の私だったが、入学手続きの日、紙クズの舞う芝生横の”細道の助走”を切り抜けて豊田講堂と相まみえたそのときに、はじめて私は名古屋大学の「入り方」を分かった気がした。
名古屋大学の東山キャンパスには、正門がない。それどころか、門らしい門もほとんどない。そのような名古屋大学に「正しい入り方」があるとしたら、それは名古屋大学駅から地上へ浮上する入り方がそうだと、私は思う。名古屋大学駅が開業する以前、つまり”本山原人たちの獣道”が大学へ向かう正規ルートであったころの名古屋大学のことは全く知らないが、少なくとも現在の名古屋大学を見る限りは。というのは、時々、芝生手前の碑石で記念撮影をしている学生とおぼしき人々を見かけることがあるが、やはり名古屋大学・東山キャンパスは、グリーンベルトと山手グリーンロードが交差して北部・南部・理系地区を分かち、地下から名古屋大学駅1番および2番出口が伸びるあの場所を原点として展開された空間なのだと思うからである。
この「原点」にあたる空間は、だいたい「名大南」交差点から「名古屋大学前」交差点までの区間に相当する。これらはそれぞれ駅の1、2番出口に近い交差点と言えば分かるであろうか。ちなみに「名大北」交差点もあるが、これは3番出口に近い、IB館とES館(あるいはNIC)の大体真ん中にある交差点である。この南北名大交差点に挟まれた道路に沿って「名大らしい」景観、例えば広々とした芝生の向こうにそびえる堂々たる豊田講堂、木々の茂るグリーンベルト、学生が行き交いする駅の出口、ツヤツヤスベスベした高尚そうな建物群…などが広がっているのを見ることができる。
ところで、「名大南」とは別に「名古屋大学南」という交差点も存在することをご存知だろうか。どこかと言うと、南部購買の裏、メガ・ケバブ名大店の正面の交差点がそれである。
先ほど、名大のメインストリートから名大らしい景色が広がっていると書いた。しかし、南部地区の諸構造物は、この景色にほとんど参加していない。それに、グリーンベルトを1つの座標軸かのようにも書いたが、グリーンベルトは南北を分けているというより、南部のために隙間を作っているというような格好であることに(つまり、南部地区の部分が下ぶくれになっていることに)、地図を見ると気づくだろう。
南部地区には、文理の違いや建物の新しさの違いということもあるが、北部や理系地区とは「明らかになんとなく」違うところがある。見てくれは小ぎれいな文系諸学部の学部棟が所狭しと密集して砦を成しているプチいかめしさ、またその一方で、経済学部棟前の放置自転車、文学部棟のそばの不格好な藤棚、全学棟の情報学部との中途半端な融合、文系総合館の周りの無駄に入り組んだ路地をはじめとして、そこかしこから知られるプチひなびた感じ、プチ拙い感じ、雑然とした感じ、またこうプチプチと梱包材のように書かなければならないようなモザイク的なちぐはぐさ…うまく拾えないが、あるいは気にしすぎかもしれないが、こういった類いの印象は、北部や理系地区ではあまり見られないように思う。カルチャーと呼ぶと少々大仰だが、「南部イズム」を緩慢に構築している何かは確かにあるようだ。しかしこの「南部イズム」の風景は、「名大南」交差点からは十全に開けていない。
つまり私が言いたいことは、こうである。メインストリートである山手グリーンロードでは、まだ南部の本領は発揮されていない。南部がその真髄を見せるのは「名大南」交差点においてではなく「名古屋大学南」交差点においてであり、したがって南部への適切な「入り方」を考えるなら、「名古屋大学南」交差点のところの入構口から入構するのがそうである、と。
ぜひ情景を思い浮かべてみて欲しい。まず、低い柵と生け垣の巡らされた周囲に沿って「名古屋大学南」交差点まで来たら、メガ・ケバブ名大店を脇目に見ながら入構する。そもそも、なんでこんなところにケバブ屋があるのだろう。メガ・ケバブは大須や空港、ラグナシアといった賑やかで華やかな(やかましくて猥雑な)場所によく出店しているが、そのメガ・ケバブが名古屋随一の文教地区の東海屈指の学問の府のすぐ隣に店を構えていることは控えめに言っても謎である。ただ、”例の日”以外は行っても高確率で退屈そうな店員しか店におらず、ある意味「名大ナイズ」されている感じは否めない。大学に再び目をやると、入構口の両脇にちょっと立派なソテツのような植物が生えていて、無邪気である。ケバブ屋の存在と相まって微エキゾチックな空間になっている。奥を覗くと、南部購買の赤茶色のタイルの壁面と郊外のテーマパークの駐車場のそれのような渋いゲートが2つあり、ゲート中央にはさっきより若干威勢の良いソテツのような植物が待ち構えている。…(少しケバブ屋にフォーカスし過ぎたか)。
またさらに論を先鋭化させると、そんな「名古屋大学南」交差点は、名称から考えるに”真正さ”において「名古屋大学前」交差点と同格であると言えるだろう。失笑されている方もひょっとしたらおられるかもしれないが、この仮説(?)は私にとって存外大きな意味合いを帯びてくる。
冒頭に書いた喜ばしき日から2年と数ヶ月、私は怠惰に流れて暮らし、結果2留を確定させる憂き目を見ている。部活を蒸発し、無数の講義を蒸発し、かつての同級生たちを見失い、それでもなおフラフラとケッタマシーン(死語)で通学する私(死人)に、「名大南」の広々とした空間は威圧的に映り、非常に心許なくさせる。他方、「名古屋大学南」のこぢんまりとした、ちぐはぐな空気感は、学生生活の”メインストリート”から逸れてしまった私にとって、なんと融和的に感じられることか。しかも、それもれっきとした名大の一つのエントランスだとさえ言ってくれるのである。
こう書いていて、私がかつていた部活の同級生が一度「名大の校章の図案化された”NU”は、論理記号の∩∪(かつ/または)とも読める」というようなことを言っていたのを思い出した(しかも、それらが「命題」と深い関係にあるのも面白い)。境界、包含…彼の何でも無い気づきのつぶやきが、2年と少しも経った今になってじわじわと私に与える感慨を、オチを期待してここまでわざわざ読んで下さった皆さんは想像することができるだろうか。既に3000字近いこの駄文が何とか言おうとしていること、そのエッセンス的なものが、このちょっとしたつぶやきに透けているような気が、なんとなくでも、してこないだろうか。
藤田
プロフィール:文学部2年。実は、留年している。
東山カルチャーコラムは、東山エリアについて、ゆかりのある方になにかしらの文章を書いていただいて掲載しているコーナーです。