コラムなんてものはこんなに切羽詰まって書くもんじゃないとは思うが、自分で決めてしまったことなので、追い込まれながらもコラムを書くこととする。
今回は新型感染症の影響で、学内で見かけることがなくなったもの、逆に多く見るようになったものについて書こうか。
まず、学内で見かけることがなくなったもの。
- 学食での元気を発散させている輩
- 図書館内でコソコソと飲食をする輩
- 文系総合館の自習室で睡眠学習に勤しむ輩(確か、現在は解放されていなかった気がする)
- 北部食堂前でのビラ配りをする輩
- 旧全学ホールの動物園
そして、見かけるようになったもの。
- 弁当ショップ
- 野外で弁当を貪る輩
- 工事作業員
あれ、意外にそんなに変わってない?
慣れとは怖いものである。
筆者が学部1年生であった頃は、大学にはもっと人の活気があった気がする。その熱量こそ、正しい方向を向いていたかはわからないが、とにかく、受験勉強でたまったフラストレーションを晴らそうとするかのように、ありふれたパワーを大学生活に向けていた学生が多かった気がする。老害のような気分だ。
今の学生は、一体何を考えて生活しているのだろうか?
「卒業単位を揃えて旧帝国大学卒の学歴を手にする」ことが目的の学生にとっては、これまでになく省エネルギー(PCと向き合って何千文字かのレポートを書き連ねるだけ)でそれが叶う、ボーナスチャンスかもしれない。ただ、それ以外に向けられていた学生のパワーは一体どこへ行ってしまったのだろうか。
学問の研鑽地としての大学はオンライン化でも守られているような気がするが、意図していない人と人との交流によって生まれる、なんかこう、ごちゃごちゃしたパワーは確実に失われている。
無論、失われることが悪いとは言ってない。
産業革命や、情報化社会の波を乗り越えてきた本山原人は、新型感染症によってどんな進化を遂げることとなるのだろうか。
荒井慶介
名古屋大学大学院情報学研究科修士1年。東山カルチャープレス編集員。
Twitter:@isuk_rika
東山カルチャーコラムは、東山エリアについて、ゆかりのある方になにかしらの文章を書いていただいて掲載しているコーナーです。毎週金曜17時更新予定。