コラム

イーストマウンテン・パーソナル・リポート

名古屋大学を卒業して2年以上が経つ。僕は2014年4月〜2018年3月の4年間大学に通った。実家は茨城の水戸というところなのでずっと一人暮らしをしていた。学校から少し離れた覚王山という駅から3分ほど歩いた場所にあるアパートを借りて住んでいた。名古屋大学を中心とした、一帯は〈東山地区〉と呼ばれている。

僕は大学に入ったもののあまり授業に出ていなかった。入学時に志していた物理の授業があまりおもしろくなかったので、大学院に進むのを早々にやめたからだ。これまでの人生は極めて真面目に生きてきたんだから、少しくらい休んだっていいじゃないか。

それから、僕は卒業できるくらいの成績をとりながら、街をふらふらしていた。大学の4年間は街やそこで出会った人たちを通して何かを受け取っていたような気がする。今思えばそれは勉強では決して身につかない種類の知識だったと思うし、現在の僕の姿を決定づける”何か”だった。

一方で、重要な要素はもう一つあった。僕は大学の4年間で生まれて初めて、一人で生活をすることになった。引っ越しのときはナーバスになっていたが、不安でテレビをつけたままにしていたのは最初の一週間だけだった。あとは「一人であること」を楽しむ日に変わっていった。一人暮らしは気楽だった。自由だった。何でもできた。この「一人であること」も僕の現在に影響を与える大きなファクターだったと思う。

ここでは僕が東山で一人で過ごした場所を、リポートとして書き残してみようと思う。これはあくまで極私的な記録だ。何の参考になるかは分からない。おもしろいかも分からない。ただ大学での過ごし方の一例を提示できるはずだ。ルーティーン化した大学生活・バイトに飽きた人はこういう場所に行くと良い。自分ひとりの場所が待っているはず。

①ハードオフ覚王山店

ハードオフ覚王山店は、僕の家から最も近いエンターテイメントだった。小さい階段を上がり、立ち並ぶ洗濯機の前を通り抜けると両開きの自動ドアが静かに開く。右手にはパソコン関係、左手にはゲーム類、奥には楽器やジャンク品、あるいは農機具まで置いてある。ここがハードオフ、夢と希望の埋められたゴミ捨て場だ。

ワンフロアの店内は狭いながらもリサイクルショップとしての機能は満たしており、来店するたびに「良いものを見つけてやる」というわくわく感が湧いてくる。しかしそんな高揚とは真逆にあまり良いものを買った記憶はない。

ちょっと古い外付けHDD、変なおもちゃみたいなカメラ、PSPのゲームソフト(懐かしのUMDだ)…それらの多くは時代遅れで性能が良くないし、調べてみるとメルカリの方が安く買えるものだったりしたのだ。

でも、それで良かったのだと思う。ハードオフで自分の手と目で見つけたものを買う、という体験にこそ何かが宿っていた。僕はSNSとGoogle検索で最適化された世界では出会えない”何か”を探しにハードオフに通っていたのだった。

②「真弓苑」のレバニラ炒め定食

真弓苑は覚王山の路地裏にある中華料理屋だ。覚王山のイケてるハンバーガー屋「ラーダー」の隣の隣にある(ラーダーも大好きな店だ)。

僕は3年間「らくだ書店」という本屋でアルバイトをしていたが、閉店が0時と遅かった。バイトを終えてからご飯を食べられる店は少なく、すき家か「一番星」というラーメン屋か、真弓苑しかない。僕はお金があってしっかり食べたいときは真弓苑に来ていた。真弓苑には調理のおっちゃんと中国語を話す男、ホールのおばちゃんがいた。全員無愛想で、ろくに会話をしたことがない。

僕はたいていはレバニラ炒め定食を食べた。ご飯とレバニラ炒め、少しのもやしとペラペラのチャーシューが乗った半ラーメン。僕はこのラーメンのしょっぱさが好きでいつも来ていた(真似できないくらいしょっぱくてうまいのだ)。

誰にも会わないし、誰にも話しかけられない気楽さが好きだった。

一年ほど前に名古屋を訪れた時、真弓苑が閉店していたことを知った。僕はもう東京に出てきていたので、実を言うとそれほど悲しくはなかった。ただ、もうあの時は本当に戻ってこないんだと分かって寂しかった。「あの時間に戻ろうと思えばいつでも戻れる」とどこかで信じていたのかもしれない。過去は失われた。友だちには気軽に会えないし、もうしょっぱいラーメンは食べることができない。

③コーヒーショップ「モレーキ」のランチ

モレーキは覚王山駅から本山駅に向かって下る坂の途中にある喫茶店だ。向かいにはVANショップなんかが並んでいる。大学3年くらいから、たまにここでお昼を食べるようになった。なんと言っても内装が良い。深い茶色を基調とした、重厚な印象の店内。しっかりと固いソファ。天井から吊るされた豪華な作りの照明。手に入らないものばかりで憧れる。

ランチも良かった。メニューは日替わりで、外のホワイトボードに書き出してあったのだ。「今日は焼きうどんか〜」などと一喜一憂する。

出てくる品は、誰かの母親が作ったような、実用的とでも形容できるような味がした。それは実家を出て数年経って、久しぶりに感じるものだった。時々「これサービスよ」とがんもどきを煮たのなんかを付けてくれる。

暑い日なんかに食後のアイスコーヒーを飲んでいると「もう学校はいいかな〜」という気分になってきて、だらだらと本を読んで過ごすこともあった。今でこそ大学でしっかり勉強をすべきだったと思うが、そのときの僕にとって大事だったのは前者、自分が選んだ方だった。「適当にやる」という選択の一つ一つが自分にとってのトレーニングだったのだと思う。適当にやるのにもコツがいる。

④セカンドストリート田代本通店

セカンドストリートは楽しい。前述のハードオフが第一のアミューズメントパークだとすると、こちらは二番目、覚王山のUSJだ。服という特定のジャンルに絞り込み、さらに入れ替えが早いのでとてもディグりがいがある。未知なるものを求めて寄っていた。

当時はセカストにいるところを知り合いに見られるのが結構恥ずかしくて、人の目を忍んで入っていた。自転車は見えづらいところに停め、滞在時間をなるべく減らす。その結果、自分の好きなジャンルやブランドを服がどこに置かれるのかだんだん分かってきて、効率的な周回ができるようになった。

今でも阿佐ヶ谷のセカストに行くと「ふーん、ドメブラはここね」などと思ってしまいます。そっちの方が余計に恥ずかしい。

⑤「コカブ」のカレーパン2号

「ここのパンすごいおいしいよ」と教えてくれたのは、友だちの桃田だった。桃田は学部が同じでなんとなく気があって、時々ご飯を食べに行く仲。温厚で優しいが、必要以上に他人に執着しない性格が一緒にいて心地よかった。研究室も隣だった。そんな桃田が教えてくれたこともあって、僕はコカブのパンを食べてみることにした。

そこはフランス料理店と美容室とパン屋が合体したお店。パン屋にはいつもおしゃれなお兄さんが立っていて欲しいものをお願いする。コカブのパンはちょっと高かったが、これまでに食べたなかでも抜群においしくて「名古屋で一番うまいパン屋だ!」と衝撃をうけたのを覚えている。

僕はすっかりコカブの虜になり、うまいパンを食べるために足繁く通った。あらゆるパンを食べたのだが、悲しいことにどんなパンがあったのかほとんど覚えてない。たぶんうますぎたのだ。唯一覚えているのは、「カレーパン2号」というパンが一番好きだったということ。

カレーパン2号はチーズの焦げ目のついたもっちりとしたパンのなかに、どっしり煮込まれた欧風のカレーが入っている。カレーにはごろっとした牛肉の塊も入っていてそれだけで食べごたえがある。中はこってり目なのに対し、外のパンは揚げずに焼いているから食べやすい。これを食べるだけでも名古屋に行きたいなぁと思ってしまう。それにしても他のパンの記憶がないのが残念だ。もし行った人はパンの写真を送ってください。おいしかったこと自体は忘れられないので。

⑥名古屋大学図書館の2階(飲食は禁止だけど)

飲食が禁止だということを除いて、大学の図書館の1階はすばらしい場所だったと思う。

入り口にはスタバがあるし、無線LANも利用可能。フリースペースの机・椅子・ホワイトボードは誰でも使っていいし、プロジェクター付きの会議室もある。そして、本が大量にある。こんないい場所には大学を出てから一度も出会えていない。飲食は禁止だったが。

社会人になってから思うのは「勉強やミーティングをするためだけの場所はほとんどない」ということ。コワーキングスペースやシェアオフィスはあるが別途お金がかかる。

卒業してはっきりと分かるのは、大学は勉強や人と話をするために最適な場所だった。もし在学生がこれを読んでいるならば、こんな環境は今しか使えないと思っておいたほうがいい。1年間に50万円も払っているのだから、設備はたくさん使ったほうがいい。飲食してるとすぐ注意されるけど。

以上が僕が一人で過ごした場所だ。この記録は僕という一人の人間が一つの視点から捉え直した、東山カルチャーの再構成とも言える。カルチャーは人と場所に宿る。この極めてローカルなリポートから分かることは、どの街にも一人分くらいの場所は用意されているということだ。僕のいた場所はきっと今は別の人がいる。なくなった店のあとには別の店ができる。街はいつも動きつづけ、それぞれの人に寄り添う形を取るのではないか? 結果として各人に固有の、その街のカルチャーが絶えず生まれ続けているのだ。


飯村(イイムラ)
1995年、茨城県生まれ。書店でのアルバイトを経て、現在は出版社で働いている。メールマガジン「イエローページ」を月1回配信中。購読はこちらより。
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東山カルチャーコラムは、東山エリアについて、ゆかりのある方になにかしらの文章を書いていただいて掲載しているコーナーです。毎週金曜17時更新予定。2020年6月のテーマは「東山のお店」です。

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