コラム

モラトリアム

「人生の夏休み」という言葉は、まさに大学生活を言い表すのに相応しい言葉だと思う。それは、「夏休み」をどう過ごすかが全く人それぞれである、という点も含めてだ。ずっと引きこもって一人でゲームする奴、めちゃくちゃすごい自由研究を作ってくる奴、一週間で宿題を全部終わらせちゃう奴、日がな遊んだあげく宿題は友達のを写させてもらう奴、などなど。ただ一つ違うのは、「学校の夏休み」は終わってもまた学校が始まるだけだが、「人生の夏休み」が終わったら始まるのは学校じゃなくて人生だということ。4年間の夏休みの後、僕らは無味乾燥した自由と責任の世界にいきなり放り出される。
だから、この「人生の夏休み」を指して、人はモラトリアムという言葉を使う。モラトリアムとは、何の責任も負わなくて良かった子供時代と、全ての責任が自分に降りかかる大人時代との間に位置する、発展途上でハンパな時期のことだ。いずれ社会に放り出される運命の僕らは、夏休みを呑気に楽しんでいられる小学生とは訳が違う。学校やだなー、などと言いながら与えられた授業をこなしていればいい彼らとは違って、僕らは目前に迫る「大人時代」の生き方を何としても発見する必要があるのだ。友達の宿題を写させてもらう、とかいう問題ですらない。

case 1. 吹奏楽部の場合
学部1年のころ、僕は吹奏楽部に入っていた。部活にはたくさんの先輩たちがいたが、僕は新入生の中で1人浮いていたからすぐに名前を覚えてもらえた。うちの部活は、飲みサーと言うには真面目だが真面目と言うには飲みが多い、実に典型的な大学のサークルだったと思う。新入生歓迎会を兼ねた合宿でも、夜には年齢不問で酒が振る舞われ、愚痴や恋愛話が飛び交ったり、部内カップルが膝枕をおっ始めたりした。僕はただ音楽がしたかっただけなので、そういう雰囲気は苦手で、いつも部活が終わったらすぐに帰っていたが、実は僕を除いた新入生たちがみんなで仲良く電車に乗っていたことを、半年経ってから初めて知った。僕は自分のコミュ力のなさに辟易すると同時に、みんながここでやろうとしていることが「吹奏楽」ではなく「サークル」だということに気がついた。2つ上の先輩指揮者は、いつも恍惚の表情で指揮棒を振っていて、たくさんの平部員たちがそれに何となく尊敬の眼差しを向けていたが、僕は彼のナルシシックな指揮がものすごく嫌いだった。こんなにレベルの低い吹奏楽部で、こんなに生き生きとしていられる先輩や同輩たちに我慢ができなくなって、僕は半年で吹奏楽部を辞めてしまった。

case 2. 特殊音楽研究会の場合
特殊音楽研究会のメンバーは、僕と二人の先輩しかいなかった。K会長はいつも黒装束に身を包んでいて、図書館で行われる会合にはなぜかいつも音楽と関係のない哲学書や現代美術の解説本などが置いてあった。会の活動内容は、実の所ほとんど記憶にない。月に1回くらい図書館に集まって、次に何をするか決める。と言っても、ほとんど雑談だけで終わってしまうのが常だ。僕は会長から様々なことを聞いた。名古屋大学に蔓延る極左勢力の話、文化祭で起きた食中毒騒動の話、名大祭実行委員がいかにクソかという話、などなど。会長はノイズ音楽を愛好していて、僕はそのライブ演奏に1度だけ立ち会ったことがある。文化祭でたくさんの来場客が歩くメインストリート、そのど真ん中に彼は舞台を構え、大道芸人の真横でいきなり凄まじいノイズを出し始めたのだ。道行く人々は、機材トラブルか何かだと思ってチラリとこちらを一瞥しては、足早に通り過ぎていく。恐る恐る隣を見ると、もはや会長は取り憑かれたように髪を振り乱して、機材のスイッチをめちゃくちゃに叩きまくっている。彼のノイズは、感情を失った獰猛な野獣の叫び声のようだった。

case 3. 作曲同好会の場合
僕は、名古屋大学に新しく作曲同好会を作ることにした。曲を書き、演奏し、形にする。いつからか僕は、本気で職業作曲家を目指すようになっていたのだ。最初は2人だった会員も段々と増え、少しずつ洗練されていった。
ある時、小さなピアノコンサートを開くことになった。会員のピアノ奏者2人に演奏を任せ、僕らは演奏会に向けて準備を始めた。作曲の他にも、チラシを作ったり会場を押さえたり、やることは無数にある。たくさんの手間とお金がかかり、それを回収するために客もたくさん呼ばなくてはいけない。
ピアニストに楽譜を渡してから数日後、ピアニストの1人からやはり演奏できないと連絡が来た。親に「その曲を聞くと頭が痛くなる」と言われたらしい。急遽知り合いに声をかけ、ピアニストが3人に増えた。ところが、演奏会の1週間前に今度は別の奏者から連絡が来た。用事があったのを忘れていたから演奏会には参加出来ない、代役を立ててほしい、とのことだった。結局、演奏会では彼の分の曲を削除し、入場料は無料に変更することになった。当然憤慨した僕は、その演奏者をすぐに退会処分にした。

大学には半分遊びに行くようなものだ、と大人たちは言う。そんな大人に出会ったら、君は今すぐぶん殴るべきだ。半分しか遊ばないなら一切遊ばなければいいし、全力で遊ぶなら死ぬ程遊べばいい。結局のところ、大学というのは大人になるまでの短い余暇などでは断じてない。そういう意味で、大学生活は”夏休み”ではない。でも、このモラトリアムの期間を自分の中にどう位置づけるかは自由だ。そういう意味で、大学生活は”夏休み”と言える。モラトリアムとは決して甘い言葉ではない。言わば、死刑囚の「最後の食事」みたいなものだ。好きなものを食べさせてもらえるが、何も食べなくてもいい。賢い奴なら、毒物を注文して先に死んでおくくらいのことは考える。何にせよ、モラトリアムの間は自由を前借りしながら、常にその結果が問われていることを忘れてはいけない。誰に問われているかと言えば、他ならぬ自分以外にはいないのだから。

しかし、大学生というのは本当にルーズな生き物だ。前に演劇部から劇中音楽の作曲を頼まれ、作って送ったが結局音沙汰がない。作曲同好会のコンサートを取材しに来た学生は、当然のように30分も遅れて来て、進行に差し障りがあったので舞台監督に謝れと言ったら、可哀想なくらい緊張して声を震わしていた。学生起業家から作曲の仕事をもらえると聞いたが、結局なしになった上に連絡がなく、こちらから催促してやっと判明した。学生諸君が「人生の夏休み」をこういう意味で捉えているなら、そんな人生は即刻投げ捨てて、胸に「モラトリアム人間」と書いたバッジでも貼り付けて余生を過ごせばいいだろう。


冨田悠暉(トイドラ)
愛知県を中心に音楽活動を行う作曲家。名古屋大学文学部3年。ポップスから芸術音楽まで、ジャンルを超えて幅広く扱う。TLT(トイドラ式ロクリア旋法理論)の創案者。作曲以外のクリエイションにも積極的に行なっている。
Twitter:@toidora

東山カルチャーコラムは、東山エリアについて、ゆかりのある方になにかしらの文章を書いていただいて掲載しているコーナーです。毎週金曜17時更新予定。2020年8月のテーマは「モラトリアム」です。

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